これは人生においても割と終わりを見たがりというか、このブログ自体「お葬式」気分で書いている私の感覚です。しょっちゅうこれは息子らへの遺言と書いてますが、読むかどうかもわからないので、自分葬式と表現した方がいいのかもしれないと気づきました。
人さまのお葬式の時に「へぇ、そんな一面もあったのね…」というエピソードを聞くことはあると思うのですが、生きている今から自分のお葬式の気持ちで書いていたら、葬式の2時間でネタに困ることはなかろう…と思ってます。いーよ、あんたのことはよくわかった!もうお腹いっぱい!と思っていただけたら本望です。
ここ10年で脳虚血で一瞬半身付随になったり、精神が身体と乖離して精神科の保護室で世話になったりと、「ちょっと命がヤバかったかもしれない」体験が、「健康な今は儲けもの余生」と思っている要因の一つかもしれません。
前置きが長くなりました。
私は脳にもやもや血管(←国指定の難病の1つです)があるのでお医者さんからは100mダッシュみたいな激しい運動はNGと言われてますが、走って死ぬのと走らずにストレス溜めるなら、走って死ぬほうが本望だと思いながら日々走ってます。走りながら死なれたら迷惑かけちゃうので、なるべくひっそり旅立ちたい…とも思いますが。
話がやや重くなりました。休日は陸上部の親御さんや生徒さんと、よりよい部活にするには…という話し合いをしてきました。
ここでやっと冒頭の終わりを見据えて…になるのですが、「私がいなくなった後も、うまく運営できる基礎を作りたいんだ~。雪だるまの核部分と言えばいいのか…」と親御さんに伝え、その要約を夫にも伝えたら、「一年目から終わりのこと考えてるのか~。」と思いのほかびっくりされて、「そりゃそーだよ、私そこまでいい人じゃないし、練習は月に約10回×2時間で約20時間の労働とも捉えることもできるでしょ?一応15年の競技生活という知的財産のシェアとも思ってて、部活に息子らもいないのにどこまで頑張れるかなんて、まずは◯年後が一つの区切りと思ってるよ。実績作らなきゃこっちも屁もこけないからやれることはやるけどさ、いるのが当たり前と思われるのは私の本意じゃありませ~ん。そのためにチームとしてまとまりある組織を作りたがってるのよ。そしたら私いなくても回るでしょ?かなり私はワンマンだけど、ほんとにワンマンなのは嫌なの。動ける組織を作りたいのよ。」…と、非常に冷たい部分の自分と、0→1を作りたがりの自分を丸出ししてますが、時は金なりとはよく言ったもので、今は目一杯コーチしながらトレーニングするのが私の喜びではありますが、必ず分岐点は来ると思ってます。それは自分の都合なのか部の都合かは分かりませんが。
起業においては仕事を閉じる時期は自分の健康寿命次第…というくらいに気長に捉えてますが、それでもガツンと稼がなきゃいけないと感じたら別の働き方をいくつか想定してます。
備えあれば憂なし、の備えをいかに整えるかは人生の醍醐味なのではなかろうかと感じる今日この頃です。なかなか難しいですけどね…。まあ出来る範囲で。
尻すぼみな内容になりましたが、そんな気持ちで日々生きさせていただいてます。
書きながら日にちが変わりました。
今日は3.11。あたりまえが当たり前ではないと気づきを与えてくれた、大切な1日です。
震災で尊い命を失われた方々の冥福を祈りながらこのブログを書き終えて眠ろうと思います。