震災当時を思い出しながら書いた、去年の今日の記録です。震災のことを「はからい」と表現した遠藤先生に泣きながら驚愕してたことも書いてます。基本的な気持ちは変わってないので、以下コピペ失礼します。

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はじめに、この月日に祈りを。
犠牲者と遺族の方々に心よりお祈り申し上げます。

私は会社の中にいて、うねるような大きな揺れに思わず机の下に隠れた。
私はいつも地震の時には下に隠れる。何か落ちてきたら怖いから。

その揺れは長く、東京は震度5で、ビルが折れるんじゃないかと思いながら、とにかく尋常ではないことだけはわかった。

外回りから帰ってきた営業さんが真っ青な顔して死ぬかと思った、こわいよー!って言ってて、この揺れじゃ交通網は麻痺するなと肌で気づいた。

早く帰らなきゃ。給料なんでどうでもいいから、家族のもとへ帰らなきゃ…!

…と思っていたら、帰れる人は帰りなさいという辞令が出て、私は迷わず帰った。

責任感が薄いとか色々言われるかもしれないけど、会社では一番ペーペーヒラ社員だったし、息子は1歳になったばかりで、辞令と同時に帰る準備をした。

多分停電も起こるし、携帯だってわからないと思って、グーグルマップで銀座から高円寺までの距離を検索したものをプリントアウトして、その地図を片手に走って帰った。

走るのが好きでよかったと思ったのは、多分この時一番強く感じた。
走りさえすれば、家族に会えるから。

皇居の周りは帰る人でごった返していて、せっかちで足早なおじさんの真後ろについて人混みをすり抜けた。

走っても走っても、短距離選手の私には銀座から新宿までが遠い。

ダッシュして歩いてダッシュして歩いて、コンビ二でおにぎり買ってかじりながら新宿を目指した。

新宿まで行けば、中野までの道はわかったから。妊娠中にこの区間は何度か歩いた。

チクショー遠いな!メロスってこんな感じかよ!って思いながらひたすら走って、やっと保育園に着いた。東京は狭いようで、結構広かった。

次男はまだ小さな赤ちゃんみたいなものだったから、保育士さんにおんぶされていて、じっと私を見つめてた。

当時3才の長男は、こわいねえってギュッと手を握った。

母も上京していて、テレビでとんでもない映像が流れていたのよ…と壮絶な顔で伝えてくれた。

怖い暗い眠れない、いつまで続くのか、この恐怖と揺れは。
ありとあらゆる負の感情が自分を覆い尽くす。

福島の原発の光景が流れた時も、私の言語では何と言えばよいのかわからなかった。放射能って何なのと思いながら、見えないからこその恐怖を感じた。

外に出たら、隣の家の瓦屋根がガラガラと落ちて、儚いを通り越して、むなしくなった。

なんと私は、そして人間というものは無力なのだろう。

茫然とした気持ちで日曜礼拝に参加したら、メッセンジャーの遠藤さんが、これは全て神のはからいだと涙して言っていて、神のはからいって何なんだよ、意味がわかんねえ!
説明できないこの惨事を見て遠藤さん、あんたははからいって言えるのか、すげえなって心の中で思ってた。

私には当時絶望としか思えなかったから、遠藤さんのメッセージを理解するまで丸7年かかった。

遠藤先生、ありがとうございます。気軽にさんづけしにくい稀有なお方です。気さくなのですが。

今もまだこの地震のあとさきに関して、私は適切な言葉が出ないし、適切な言葉なんて無いと思っている。

ただ神のはからいだと言った遠藤さんの言葉が私には不思議と最も腑に落ちている。運命の、現実のかくも残酷な場面が、悪魔ではなく神なんだと、涙して語る光景は忘れられない。

つはものどもが夢のあとに似た、この全てがゼロになるこの世の儚さをかみしめながら、私は小さな祈り人として祈りを神に捧げつつ、空を、天を眺め、風をよみ続けたいと思う。

最後に、もう一度祈りを。

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お読みくださりありがとうございました。おやすみなさい🌙