哲学科に編入して、物理から仏教に専門を変えて研究していた先生に出会った。夫はこの先生に出会って、大学と専攻を変えて長い間学生していた。たまたまクリスマス会にお邪魔したら、仏教を学ぶ学生さん達に賛美歌を勧めていて、やっぱりちょっと面白いなと思った。

私は授業を聞きながら「よーわからん」と思いながら、どうしてこの先生は物理から哲学に興味が繋がったのだろうという点に関心があった。

私にはどっちもわからんよ…と思いながら、時が経ち、たまたま昨日の本屋でニュートンの特集を見て、ああなるほどと思って手に取った。テーマはヒントを与えてくれる。

なるほどと思っても言語化できないから理解はしていない。でも、眺めているだけで理解できなくてもいいと割り切ってもいいと思う。フィギュアスケートができなくても、見てたら楽しいなみたいな感覚でしょうか。

学問は理系とか文系とざっくり分かれているように見えて、真実というものはそんなに分断や批判をしなくても良いと思っている。

私が関心があるのは、この人は何に疑問を感じたり問題を持っているかで、問題提起の部分が特に興味深い。SNSは私の中ではリアル現代文で、いいね👍は筆者の気持ちと思って観察すると、面白さとかおそろしさとか、色々いいね👍と思っている。

話がなにやら飛躍してますけど、どうすればより人と人の間のストレスが少なくなるかみたいな部分におそらく自分は関心があって、友人がアマルティア.センさんがあんたの関心の1つの答えを持っているんじゃないかと教えてくれて、冒頭を読んで鳥肌が立った。経済の話をしていて、なぜかそんな話になった。会話って面白いですね。

言葉とともに死にたいと思った私は、言葉を越えたところに答えがあることも知っていて、つまりは言葉なんて淡く儚いこともわかるけど、その中でもう少しジタバタしていたい。

とりとめもないことを思いながら雨の音を聴いていたら、茉莉花茶の花が咲いた。

小さな地球の細胞として、どこに視点を置いたら平和を目指せるかなと、漠然としたことを考えながら、今日のお昼は何を作ろうかなと考えると楽しい気持ちが胸にやってくる。

外の世界の喧騒につかれた時には、内なる小さな世界を満たすことに注力して、それがどうしたの?と口ぶえを吹きながら穏やかに生きたい。

バヤっとした文章、失礼しました。バヤっは秋田の人が時々使ってて、結構好きな音です🙂

よい午後をお過ごしください🍀

追記として、今回のニュートンにはコロナウィルスの特集もありました🙌