とある教会の牧師さんに、常々思っていた疑問を投げかけてみました。

…敬虔なクリスチャンって何なん?

敬虔だと思って生きてそうな方々のほうが案外人に対して失礼な気がして、私ちょっとムカついてるんですけど…と。まあ、私なんて教会にほとんど行かない人間だし、正しい人間でもないから何も言えないんだけどさ、なんか「私は聖なるものだからおまえこっち来んな」的な拒絶を感じまして、そこに凹むんですよ、敬虔な人って。何なの?私とあなたは次元が違うのよ的なその結界は…💢…と言うと語気が荒いんですが、敬虔そうな人のその正しさとやらに傷つきます。と懺悔的に(?)伝えましたら、めちゃくちゃ面白い牧師さんで、「いわゆる正しいクリスチャン的な人って、神さまに対して「こんな私でごめんなさい😭🙏」みたいに祈ってさ、人に対しては私は聖なる生き方をしてまーす風に見えるでしょう?でもさ、僕は個人的には逆じゃないかなぁと思うんだよね~。人さまに対して「こんな私でごめんなさい」で神さまに対して「聖なる生き方をさせてくれてありがとう!」ってさ、自分よりもみんなは偉い人、つまり自分は最も愚かだと思ってたら、まあそんな間違いはない気がするよ~。そういう人が本当に敬虔なクリスチャンじゃないかなと思って心がけて生きてるよ」…とおっしゃってて、「ぅおお~😳」と目からウロコでした。いま欲しかった答えをいただいた気分です。

まあ信仰もポリシーも生き方も人それぞれで、解釈だって人によって違うという前提ですが、良いお話が聞けたなぁと思います。

聖職についてる方のお話は聞けるだけでありがたいし、癒されます。必要な時になーるほど!と肩がラクになる言葉がいただけてありがたいです。

まあ何よりも、いちいちプンスカしない自分にならないように…とは思うのですが、まだまだ人生道途中。腹も立つし、泣きたくなる時はあります。右の頰を叩かれたら左を差し出すなんて、イエス様のようなロックな生き方はまーだまだ無理です😅

宇多田ヒカルさんがTwitterで「歌姫ってなんなん?」と呟いたり、吉田沙保里さんの「霊長類最強女子ってなんなん?」に乗っかって、なんなん?と疑問をぶつけてしまいました。お答えくださった牧師さんに感謝します🙏

求めよ、さらば与えられん! (マタイ福音書7章7節)

せっかく牧師さんに会ったことですし、聖句を載せました。パワフルでいい言葉だなぁ💓

さーて、何を求めましょうか?

私はお金でなかなか買えない喜びを求めるが好きです。陸上の記録やトレーニングって買えませんからねぇ…。子ども達との時間も、かな。

追記:敬虔な、を英語で今回はpiousにしてみたんですが、「偽善的な」「信心ぶった」「宗教にかこつけた」という意味もあることを発見しました。「私は正しい」と思って書いてたら、私もpiousになりかねない。鋭い言葉は裏表両面あるのね〜…と気づくと、語学を学びたくなります。私は割と言い切ることが多いので、やはり言葉には気をつけようと思います。もの言わないのがイチバン平和なのですが…。

正しさを主張すると争いが起こる。ここが宗教やら戦争やら国家やら、そして人間の哀しさですねぇ。

宗教や政治の話はタブーって、なんでダメなのかしら…とずっと思ってたのですが、「わたしの信仰が正しい」ってなっちゃうとケンカになるからでしょうね。平和から遠くなる…。かといって、何も知らないで「よくわからないけれどタブーなものはタブーだ」って言うのもモヤモヤするので、文字にして自分を納得させている最中でございます。

わははのは☀️