去年(2018年)の今日書いた文章です。長いけど言いたいことは変わってないな〜と感じたので、備忘録としてコピペします。

鈴木大拙さん、もう一度ゆっくり読みたいな〜…。対本先生の本を読んでたら、鈴木大拙さんを看取ったお医者様は日野原重明さんだったようです。すごい人はやはりどこかしらで繋がってますねぇ…。あ、鈴木大拙さんは海外に禅や仏教の思想を紹介した素晴らしい方でございます。文章も凄まじいですよ。私は一回読んだ時はまだ腑に落としきれず(ついてけなかった)、この時は多分2回目です。

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Daisetsu Suzuki and Rudolf Steiner and Spirituality💫

鈴木大拙とルドルフシュタイナーと霊性
(長いっすよ!)

あ、読まなきゃ〜!と思って、鈴木大拙さんの「日本的霊性」をやっと読み終えました。
先日、禅の大拙さんと書きましたが、禅も、です。浄土真宗や親鸞のこともきちんと言及なさってる。仏教畑の方ですが、宗教を超えて知覚して悟って、その霊性で、霊性とは何かと語ってくださってる、すんばらしい良書です。

今日はスピリチュアリティについて書こうと思ったんですが、大拙さんとシュタイナーさんがそもそも見つめているものは何か、そこを私なりに考察してゆけたらと思います。

お二方ともインドのヴァガヴァットギーターについて書かれてるから、私も読まないと…!まだ深く書ききれないんですが、現時点でのマイルストーンね。

宗教の垣根を超えた霊的存在を言語化して下さってるのが2人の共通点です。

私は両者の霊性の根本的な部分に、1つの事物に対して2つの見方がある点を挙げます。それは陰陽思想であり善悪の実であり洋の東西超えて真理に到達した方に共通の言語がある。

2面性をざっくり挙げると、

エモーション(感情)とロジック(論理)
右脳と左脳
理系と文系
お金持ちと貧乏
整然と雑然
天才とバカ
生と死
光と闇
外と内
体と心

などなど…まあキリがありません。両者はぶったぎられてなくて、緩やかにつながってますよ。

何となく優位に見られるものを最初に書いてますが、1つの事項の2つの見方と捉えて下さい。

お金持ちが、南の島で貧しい漁師に「私はたくさんお金を稼いで早くリタイヤして、南の島で暮らすのさ」との発言に対して、漁師は「んなもん手に入れなくても、俺はもうその生活を手に入れている」と答える寓話があったんですが、まあそんな見方です。

人が目指す、お金や知や必ず必要と信じているものは偶像に似たもの。それを追うなと聖書が言えば、仏教も行きつくところは空と説く。空の中には金も知も無いし、死んでから持っていけない。まあ、その目指したものに対するスピリットはしばらく残るかと思いますが。

考えが抽象の中でなく、現実の実感として腹まで落とし込んで言語化した人が大拙さんでありシュタイナーさんであると感じてます。

どっちもあり、のどっちはそもそも存在しなくて、そのジャッジを超えたところに真理があって天に通じて霊性に至る。…と、拙いなりに言語化できてるかな?

今日茂木健一郎さんの投稿で、エピファニー(epiphany)という単語を教えていただきまして、(本質についての)ひらめき、悟り、顕現、霊的啓示を受ける、とかまあそんな意味なのですが、茂木さんはそれを学生時代に体感したようです。
私はおばはんになってから。
布石のように、今思うと導きはあったんですが、しっかり繋がったのはつい最近です。それを体感した人は、受けったものを伝えるのが使命かなと感じています。

The epiphany is not only me, but also yours.
…とも思います。だから、せっせと書くのさ。

冒頭に覚醒の時代と書きましたが、これからはその速度が早まって、たくさんの人が気づく時代になるのかなと読んでます。まあ愚か者のたわごとと笑って読み流してくださいね。

先日友人からのアドバイスで、あなたは左脳を使いなさいと言われ、私は右脳だと思ったんだけどな〜と思いながら、そうだ、言葉は左脳だっ!と、バンバン文字に落としてます。記号とか数字とか文字とかロジカルなものは左脳。

両ききなので、自分の手の役割を見ながらどんな時にどう、って言語化してて、文字にアウトプットするのは、右手で左脳だ!と思い至りました。

この脳の理論は立花隆さんや池谷裕二さんや、茂木さんの見解あたりを参考にしながら書いてますが、間違ってたらご指摘くださいね。高校の時のクラスノートあたりからこの分野はずっと関心がありました。
まあ左脳と右脳合わせての脳ですが🧠
最近国内外のお医者さんから、あんたの文章おもしれえなとお褒めの言葉をいただくんですが、理系のロジックの親分みたいな医学の方にお褒めいただけるのは、文章の論理が飛躍してないからヨシってことかしらと、ありがたく受け取ってます。引き続き、納得ゆく文章書けるようにおら頑張るべさ。

ついでに哲学と精神科学も、見てるものは文系理系の垣根はあるけれど、ユングの潜在意識と顕在意識みたいなところだし、哲学って名前がなんかカタイから、人間探究学とかにすればいいのにと思います。

赤ちゃんは無知だけど一番神々しい気がして、そのピュアな魂が人生という名の物語の上をそれぞれの使命のもと歩んでいるのだと思います。使命に気づいている人は、伝える立場になってる人が多いかな。私もそうなりたくて、絶賛実践中。書きたいことに手が遅くてあーもう!って思うけれど、まあよんな〜よんな〜(ゆっくりゆっくり)です。

今日の写真は保育園帰りの秘密ゾーンにて。

雪が横に舞う寒い日は、深い思索に向いていて、そういう日はちょっくら哲学書きたくなるですよ。

ちょっと面白そっ!て1人でも感じてくれたら嬉しいです😊

霊性的自覚は、分別の否定によってのみ可能である。 「日本的霊性」解説よりp261
慚愧が即ち歓喜、歓喜が即ち慚愧(略),霊性的自覚とはこの矛盾を矛盾として、しかも矛盾でないと直覚することである。p213 -Daisetsu Suzuki

真実は私たちに対して、自分を無にして、非利己的に決断を下さなければならないと命じます。真実の追求には、他の態度は許されません。「人智学.人智学.霊地学」p204-Rudolf Steiner

ではまた😊❤️