高校総体、甲子園の時期です。
陸上で中3、高3時に愛知県大会で優勝した私は、中学の時「だけ」全国大会に行けました。
高校に推薦で入って、そこからの3年間は中学で見た夢という名の現実をもう一度体験したくて、ほぼそれに賭けていました。
部活で走って、家でご飯食べたら腹筋して家の周り走って、疲れたら音楽を聴くか漫画を読む。
この時の音楽と漫画はかなりその後の人生を支えてくれている気がします。
親も勉強をほぼ放棄しているのを許容してくれたのが、とにかくありがたかったです。不器用な私には文武両道は無理だったから。
東海大会(秋田で言うと東北大会)の決勝で敗退して、受験に向かうまでは廃人でした。泣いても泣いても泣けるし、何もしたくない。
そこに賭けた3年間だったのに、思いが強すぎたから手に届かなかったその先の世界。3年賭けた大バクチに負けた後遺症はそれは大きなものでした。
人生は時に残酷で中3の「何も考えずに跳んでみたみた」ことに全国大会の切符というボーナスがついたり年間ランキング4位だ8位だとチヤホヤされ、高3の「今のわたしにはこれしかない」と賭けたことが肩すかしというかあっさり泡となって消えたことは、かなりその後の人生において影響が大きかった気がします。
なので、高校を卒業してからは「ねばならぬ」という思い込みは手放しました。人生にはどうにもならないことがあるという事実を知らねばならぬ、という感じでしょうか。諦めでもないけど、それに近い気持ち。
なので編入の受験する時も「早稲田しか受けないなんて、落ちたらどうするの?」と聞かれても「たぶん何とかなる。ダメだったら中国に行って仙人になる」と本気で言ってました。(←陸上同好会の卒業生の進路にも「早稲田か仙人」って書きました。)
早稲田だけ、じゃ自分は追いつめられて多分ダメだな…って仙人を加えておきました。
なるようになるし、どうにもならないこともある。
この自分の「おじいさん👴」みたいな部分が、聖書のコヘレトの言葉を読んだ時に「2000年も前にもっと丁寧に微細に書いてる人がいる😱!!」とガーンとなって、後に私の聖書ライフがはじまりました。
毎日読んでるかというとそうでもないけれど、トイレに聖句を貼って脳みそには焼き付けています。息子らにも一句でも心に留めてほしくて。
今は日々文章を書きながら本を読みながら、文章のトレーニングをしています。
自分の意識のようなものを、どう書き、どう伝えるか。
うまいうまいと言われるわけでもなく、絵のようにパッと見てわかるものでもないけれど、先日の記事で書いたシュタイナーからのゲーテとエンデを追っかけてしばらく生きてゆこうと思っています。
文章書いて何になるの?と言われても、ふふふと笑って、何もならなくてもほぐほぐうさぎがあるでしょ?って笑っていたいなと思います。
夢を夢のままでは 終わらないでいて
渡辺美里さんのbelieveを何度も聴いて過ごした青春時代を追憶しながら、google homeさんにリクエストしたらあっさり流してくれました。便利な世の中です。
ではでは。
写真は2日前に書いたゲゲゲのゲーテが届きました。
水木しげるさんが選んだゲーテ❤️
真実をついた言葉は、時代を経ても色褪せない。
これが哲学科で気づかせてもらったことかな…。
ゲーテさん、素晴らしいです。図みたいなものは色彩論より。色と感情を言語化させた功績を前に、何も言葉が出ません。
ではでは。
今週は月火曜、野球⚾️水曜は息子の自由研究、オープンしたてをいいことに、開店休業です。息子らと家で過ごしながら仕事できることに感謝しつつ…🙏今日やっと少し仕事できました。