面白いくらいに、去年の記事(SNSでは過去の今日…という回顧の記事を読むことが出来、振り返られるのです)を読むと、今と繋がってるなと思います。
去年はビジネスを立ち上げる最中だったのですが、その当時記憶に残ってた「ちょっとアタマが良かった頃」の成績表がひょっこり出てきました。
記憶というものは結構曖昧で、私は中2くらいがおりこうさんと思ってましたが、中1の頃が一番順位的には良かったようです。見えますかねぇ?学年1番2回、3番2回…。
母の言葉が読み返すと面白くて、「モスバーガー🍔」と書いてあるので何だったかな〜?と考えていたら、良い順位を取れたら食べたいなとお願いしてたのを思い出しました。
母はあっけらかんとした教育ママだったので、中2で順位が落ちた時に「2年生になったら20番台とはシャレですか?」という厳しいツッコミもあり、懐かしくなりました。もう他界して会えない分、文字で再開できると少し笑って泣けてきます。
勉強しろと言うと勉強したくなくなるややこしい私の特性を理解した、良い母だったなぁと思います。褒めながら自由を与えてくれました。大好きな人に育ててもらえて幸せでした。
勉強したくないですと高校に入ってから土下座してお願いした時にも、ワハハと笑って「サインコサインなんてわからなくても生きてゆけるから、今ある才能を伸ばす努力をしなさ〜い」と許容してくれた懐の深さが懐かしいです。
私は勉強しても何をしてもずっと何かが足りないという渇望感が残るコンプレックスの塊だったので、息子には教育ママが出来ないし、オール5を狙い続ける労力も、今思うと正直あまり必要なかったかもしれない…とも思うので「大体オール4」くらいにいる長男を見てホッとしてます。
自己顕示欲をどこまでで出したいか…という辺りの問題かと思われます。
成績なんて載せて何になるのかわかりませんが、ちゃんと勉強してた頃の順位表を載せてみました。ウソついてないよ…風に😅、他人の成績って面白いかな…と何でもネタにしてます。
3年になると進路希望を書く欄がありまして、第2希望に市邨学園を書いてたんですねぇ…🤔愛知の陸上の強豪校でした。
自分の成績表を見て、案外記憶ってテキトーなんだな…という辺りをおさらいしてみました。
以下、再び2018年の記事ですが、HPを立ち上げる前の段階で何を考えていたのかな…と振り返ることが出来たので備忘録として添付します。
🍀🍀🍀🍀2018年↓🍀🍀🍀🍀🍀🍀
ビジネスを考える 小さな起業準備中
Think about my small business…
あ、仕事を立ち上げようとふと思いついて、それはエピファニー、啓示のような感覚と、ずっと前からあたためてきたものをただ形にしているだけのような感覚と両方です。専業主婦しながら沖縄で遠くとおくの水平線や粟国島を眺めてた頃に強く思ってたかな…。
ずっと株を保有しながら経営者の言葉を読み続けてますが、経営の理念に賛同してるところは10年くらい所持してて、安定しながら挑戦もしてるな、お客さんのほうに目が向いてるなと感じたところは株価も伸びていて、そりゃ波はありますが、その波が緩やかに右肩上がりの企業は社会にも良い影響を与えていると捉えています。わたしは初心者なので怪しかったりよくわからないところにはとりあえず手を出さず、やりながらベンキョーしてる感じです。
さて、自分が何をしたくて、何をビジネスにしたいんだろうと向き合ったときに、自分が救われた分野を身につけようと思いました。
それはスポーツだったり妊娠出産だったり沖縄だったり東京だったり秋田で知ったり海外の人から教えてもらったり幼少期の記憶だったり、まあ色々です。
私の学ぶスタイルは一気に短期にガーッ!と潜る海女さんみたいな感じなのでハタからみたら超危なっかしいですが、語学も中学の頃の勉強も基本的には同じスタイルで、その中で特に魅力的と感じた分野は継続して学んで、点を線にしています。
そして人と人との繋がりも、点から始まって線になったり葉脈みたいに広がったり、全ては同じ気持ちで出会い、感じ、感謝しています。
本は素晴らしい教師と思っていて、たくさんのことを教えてもらって、今日も飽きずに読み進めます。
ジャンルも分野もバラバラですが、自分という軸が、魂が響くものに関しては全て繋がってる。
この「繋がってる」の感覚を何とか子ども達に伝えたくて陸上のコーチしてます。そしてFacebookにえっさほいさ書いてます。
勉強も運動も美術的なことも仕事も、根っこは同じと気づいて、まだ魂がピュアで若い子達にどれだけキャッチしてもらえるように伝え方を工夫するかが当面の課題。私が背中なんて押せないから、自分でスイッチを押す手伝いをすることだけ。子育てもそう。
ビジネスとコーチも私の中では密接に繋がっていて、とにかくやりたいこと、表現したいことを思いっきり出して、お客さんや子ども達が「あ、面白い。もっと知りたい。」って感じてもらえたら、その先のプロに繋げる入り口の役割を小さなこの町でやってみたいなと思っています。そのために必要な方々に今たくさん会えてると確信しています。
地元の商工会に加盟して、市役所さんにアドバイスもらいながら、仕事を形にすべく準備中です。
ちょっとバンジージャンプする時の、谷に目がけて飛びこむ前の感覚を思い出してます。
わたしは何も考えずに3.2.1.go!でエイッ!とダイブしたんで本当にその瞬間の記憶は数秒なんですが、そこが一番楽しくて、ダイブしてからも景色がシャッフルされる感覚が最高で、いつかスカイダイビングしたいと空想しながらこの記事書いてます。
次男と一緒に病院に来て、待合室でこれ書いてます。
色んなものに手を出して学んだら中途半端じゃないかとか、色々言われるのは覚悟の上です。専門で極めたい気持ちももちろんある。
中学ん時にオール5取って5教科で495点取ってスポーツで全国4位の賞状もらった時に、諦めなければ夢にはリーチできるんだって感覚を一瞬掴んで、それは不思議と何も考えてない無欲の時だったなと思い出して、しばらく感覚を忘れてしまって勉強ほったらかしたり、陸上だって怪我したりスランプになったりしたし、大学になってからもふらふら旅ばかりしていたけれど、その時の感覚を自分の仕事に引き寄せて、形にしてゆきたいです。あの当時の感覚、やっと思い出した。そしてやっと言葉にできるだけ語彙がたまってきた。
どれも好きだからどれも手放さないで、クリエーションしたい。私は入り口になって、プロに繋げるコネクターになるんだ。小さな地域で大きく広げず、地元密着でそれをやりたいと商工会の人に伝えました。想像したよりもすんなり受け入れてもらえて、嬉しいです。
日本人の私は「他の同業者さんとあまり乖離しないように、乱さないで」と囁くので「うん、わかった!」と価格設定をし、愛知県の私は「とにかくお客さんに満足してもらえるように、できることもりもりやって」と囁くので「うん、わかった!福袋発祥の地だし、家康さんスピリットでがんばる!」とサービスの基本的な部分を見つめ、なんとなく中国の人の気質が入ってる私は「北京や上海の街で見た活気と商売の心意気を存分にやってみなはれ」と囁くので「うん、そうする!」と笑います。自分の中には、いろんなところで影響を受けた「わたし」がたくさんいます。商売という部分に関しては、旅で出会った中国の人からの心意気は結構大きいかな。13億人の中で生き抜くってすごいことよね。ハングリー精神はんぱない。
一気に書いたんで相当長くなったかな。
なんかでっかいこと書いてる風に見えますが、やることはとてもスモールです。
パート代を自分の手で稼げたらいいな、が第一歩なので、3万円ビジネスの藤村靖之さんの本を読み込んで、3万円x3つでやりたいと商工会や市役所にプレゼンしてオッケーもらったところです。
起業としては最もスモールな部類なんじゃないかな~。だって私の腕一本だし、コーチや野球の送迎もあるから平日16時前には終了してるし…。
でもいいんです。
引き続き形にしてゆく作業、がんばります。
あ~この人相変わらずドリーマーって笑ってください。こいつのやってること、私にもできるわ…って、わたしのことなんて玄関のマットとか踏み台みたいにしてほしいです。
ではまた🍀
🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀
相変わらず長い文章ですが、ここまで読まれた方はおつかれ様でした😊
去年描いた夢が形になってて幸せです。