対本先生の講座のお題は平安な旅立ち。
今回は葉書も届き、いつもの1.5倍くらいの方が聴いていたのでぎっしり満員御礼です。みんな対本先生の凄さに気づいて〜!と毎回思います。この講座が0円って信じられません。ナガハマコーヒーも美味しいのです。
最後列に座ったんですが、人がたくさん入ってきたのでやはり一番前に来てしまいました。
いつもながら学びたくさんな講座です。医療のこと、薬の効用、加えて教養を惜しみなく出してくださり本当にすごいなと思います。
導入は藤原家隆のひそかに春がきた句を詠みました。ちょうど雪間のふきのとうに春を感じた週末。なんともタイムリーです。
今回はちょっと真面目にノートをとりました。
前半は痛みについて。
骨折に代表されるような局所的な痛みと、神経からくる腰痛のような痛み、その2つに当てはまらない精神的な痛みなどの種類に分けられるそうです。
そしてその痛みに対する対処としての薬について。
痛みの強さにより処方の段階があるそう。麻薬についてのご説明もあり、最近ケシを描いた記憶があり引っ張り出しましたが、あれ?どっちだと迷い両方ともアップします。
…脱線失礼しました。
後半は対本先生の真髄とも言える、人生の旅立ちの時をご説明くださいました。
ゆるやかに枯れる、がキーワードかと思います。
自然のサイクルと照らし合わせてご説明くださいました。さて私は今が春なのか夏なのか、気持ちは春でありたいものです。
脳内のモルヒネ的な作用についても、βエンドルフィンについて、快楽物質が生命の危機的状況ではでるようです。
ランナーズハイな状態でも出やすいようで、定期的な運動を通じて出やすくなることは自分でも工夫できそうです。
良いストレスと悪いストレスがあるとして、どうも良いストレス状態が鍵ではなかろうかと仰ってて、そのコツとして「今ここ、手放す、任せる」を伝えてくださいました。
ここは対本先生の強調してお伝えしてくださる部分で、「うんうん、わかるわかる。」と言ってしまいがちなのですが、どこまで実践できてる?と自分に問うと、心から嬉々としている状態を整える努力はまだまだ必要です。
あまりひどいストレスに晒されることは最近それほどないですが、わたしの大学卒業時の夢の境地はきっともう少し先だと思います。隠遁的に生きてる風ですが、まだまだ子育て真っ最中。母ちゃんがんばります。(私の将来の夢は「仙人」でした。下の写真で学生時代の進路欄にこっそり書いてます。少しは近づいてきたかしら…?)
対本先生はお坊さんですが、聖書の言葉からも引用してくださるところが素晴らしいです。今日はマタイ6章34を引用してくれました。
良いものは良いと、言葉の世界において寛容なのところが、毎回聴きたくなるツボでございます。
お坊さんだけど聖書のことを話す対本先生と、クリスチャンだけど夫に多言語般若心経を誕生日に渡す私は、おこがましいのですが目指してるものは近いと思います。対本先生はずっと先を見てらっしゃるから、私はβエンドルフィン出しながらうんうん頷いてるのです。毎回首が赤べこみたいに取れてしまいそうです。
この講座がなくなったら大館の楽しみが半減しそうなので、通って記録に残すことでマイルストーンにしてゆきます。
任運(にんぬん),自然(じねん)などすっかり忘れてる呉音読みの説明も興味深いです。この辺りはノートにて割愛します。
断片的な記事になりましたが、人生の最後についていつももう少し何とかしなきゃと思いながら、まだまだ整ってません。
「もしもノート」も書き足したり息子らが苦労しないように整えたいですし、夫とも定期的に話した方が良いでしょう。
準備を整えて旅立ちたいものです。
死生観も様々でしょうけれど、高僧は旅立つ7日前には準備するという話しが妙に響きました。
2年前のお盆に一緒に歩きながら人生の最後について何気なく話した母が、翌週ふわっと旅立ったことをふと思い出しました。母は母で何か気づいてたのかも知れません。今は写真に向かって話しかけるのみですが…。母は前世でえらいお坊さんだったのかな…。合掌。今年は三回忌。月日は百代の過客にして…。時の流れに思いを馳せます。
…なんて、私は空想から戻らなくてはいけませんね(汗)
今日も長々とお読みくださりありがとうございました。
次の記事は、去年のSNSから引っ張ってきた対本先生の講座です。そのままペーストする予定です。
今ちょうど読み返してしみじみしてしまいました。
ではまた。