道は続いている。
ずーっとずーっと続いている。
町を越え、県を越え、海を越えたら国を越え、知らない国の知らない街に続いている。
小さな田舎の町から世界に繋がるために、facebookは面白いなと思った。ホリエモンさんが、「いっぱしの人になれるか試すために毎日1記事書いて発信しろ」というニュアンスのことを近畿大学の卒業式で言っていて、よしこれ採用!と今年の前半に記事を公開し、世界の色々な都市の方と繋がりながら、これが私の日々であり仕事ですとつぶやきながら、お陰様で今のところネタには尽きずになんとかやっている。ここ私のターニングポイントでしたという点は繰り返し書いてるけれど。
スポ根青春だった私が哲学科なんてカタそうな分野を引き寄せたとしたら、小学生の頃バイブルのように「ぼのぼの」を読んできたからだろうな…と思う。ぼのぼのはラッコで、ボーっと見えるけれど常に何だろうったら何だろうと考えている。
私もぼのぼのみたいに、どうしてったらどうしてだろうとボーっとしながら考えるのが好きだった。縄跳びしながら、走りながら、歩きながら…。
今日は雨だったので、陸上のトレーニングも室内だった。私は生徒さん達と対話をする。
言わなくてもわかるだろう、は、よほど親しくない限り、言わなくてもわからない。
あなたはどう思う?…と訪ねると、この町のこの小学校の子はピタリと言葉に詰まるということをたまたま発見した。野球部の子も陸上部の子も不思議とそうだった。
しいて沖縄の離島で出会った子との違いがあるとしたら、ここだと発見した。離島の子は、よくふらっと家に遊びに来て「わたしはさ、こう思うわけさ…」と、よく意見を聞かせてくれた。
どちらが良い悪いではなく、ただ、そういう傾向にあるという、あくまでも感じただけなのだけど…。
学校で与えられた課題に対して日本一よく出来ると評価されてるこの秋田の子の弱点があるとしたらそこではなかろうか、と思った。応用の準備、つまり咄嗟の質問に対する回答。
与えられて答えのあるものには強いけれど、不意の質問には慣れてない。
なので対話を重ねてあなたはどう思う?どうしていけばいい?どういう方法があるかな?という意見を引き出すトレーニングをしながら、身体を鍛えるトレーニングもしたいなと思っている。
「識」なんて空気を掴むようなよくわからん分野を選んじゃったものだ、お釈迦様よくわかんねえや…と哲学科に編入した時は途方も無い気持ちになったものだけど、そんなことを学ぶ環境にいたお陰で「意識の持ってきかた」を少しだけ説明できるようになったのが、コーチとしての私の僅かばかりの良いところだと思っている。
道は果てしないし、意識の先も途方もない。
ただ、この意識が生じる感覚は0が1になる柔らかな新鮮さがあり、そこを出会った人たちと共有しながら対話できたら楽しいかもしれないと思っている。
この先陸上を続けて教えて、どこに続くのだろうという好奇心でコーチをしている。
まったく完全なるボランティアじゃないからね、わたしの夢はここにあるのよ、と今日は生徒さんに伝えた。
機会があれば続くし、熱量が足りなきゃすぐに終わる儚いものだろうと思う。夢は人(にんべん)による儚いものだから。
それはSNSの繋がりにも感じる儚さではあるけれど、まあなるようにしかならないという世の摂理みたいなものを頭の片隅に置きながら自由にやっている。夢が現実に近づけば近づくほど、パワフルになる。
続けるのは苦しいとか大変なんて言葉もあるけれど、そうしたら休めばいいだけで無理することなんて1ミリもない。1ミリもないったらないんだよ。
そんなボーっとしながら考え続けるぼのぼのみたいに、お話ししながら書きながら、今日も一日が終わろうとしています。
今日も見知らぬ国の方々と、半径3キロ以内で行動しながら対話できる日で楽しゅうございました。身体が動く範囲はスモールで、意識は世界に繋がっている。
わたしのとりとめもないこの考えを、最後まで読んでくださった方々に感謝します🙏❤️