わたしは一体、いつまで私は私はと書いているんだろうと呆れながら眺めている。
ずっとコンプレックスだらけで、才能なんてものもあったとしても儚いもんだなと長いこと蓋をし続けていた。
あなたはあなたのままでいいのよ、もっとゆるしてあげなさい。
…と、去年の今頃ゆっきーさんに出会い、その場でわんわんわんわん泣いた。
パートの仕事でも、もみほぐし屋でもパッとしない自分が本当に嫌だった。覚えがわるいと思っていた。いいな、センスのある人は。
掘り返してみたら、活き活き働いてたのはマクドナルドくらいで、それだってさんざん凄い人達を見て、どうしたらああなれるんだろう…と見よう見真似でしかなかった。
専業主婦になった時は、家事のセンスの無さに泣いた。でもハブ退治の仕事する自信もない。
何でみんなの家はぴかぴかなのに、家はすぐ散らかっちゃうんだろう。ほら、靴だって揃ってない。ああもう嫌だ。ごはん作らなくちゃ…。この小さな焦燥をどこにぶつけたら良いのか。なんで私はできないことばかりなんだろう。なんで一日家にいるのに、こんなにも何もできないんだろう。
正社員で働いたって、バリバリって訳でもないし、学歴だってハリボテみたいな綱渡り。みんなみんな嘘だったのかな。
全ては砂のような、幻想のようなものだったのだ。ここは夢。
もうやだ、死んじゃおう。彼岸は此岸と遠くない。
すぐに極端になる自分も大嫌いだ。
次男は私によく似てしまった。
一緒に死んじゃおうと思った。
死ぬのは結構大変だ。
沖縄の小さな島で、わたしは少しだけ狂って崩壊した。
ほとぼりが冷めた頃に秋田に引っ越した。
何にもない顔をして、当たり障りない人当たりの良い自分、あと10年くらいパートして、まあまあ幸せに過ごせばいいのだと思っていた。色々あったけれど、昔の神童いまただの人って本当だねって。
自分を見つめ続けるのは時に無為に思える。
何やってるんだろうと思う時もある。
そういう時に祈るというポジティブな静寂と、
瞑想するという受け身に見える静寂が、
わたしを助けてくれる。
色即是空 空即是色
仏教の考えは何だか儚い気持ちになって、それなのに極楽浄土とか言っちゃって、一体全体どっちなのよと学生時代はあまり好きになれなかった。
今は少しだけお釈迦様の気持ちもわかる。
わかる前にキリストさんに出会っちゃって、ごめんね。とにかく聖書はパワフルだった。わたしは怠惰なクリスチャン。
こんなぐしゃぐしゃなまま40歳になった。
ああ、子どものまんまなんだな。
大人にならなくちゃ。
おっとこれじゃ人生もったいない!と気付いてエンジン全開にしようと決めたのが去年で、何だかんだで満たされた1年に大きく変わった。
10年かけてやっと親とは何なのかと少しだけ気づき、きちんと子を育ててますなんてとてもじゃないけど言えないけれど、やっとわが子と地域の子達のその輝きに目を向けられるようになってきた。
あと何年この生活が続けられるかわからないけれど、大きくなってみたくなったり、小さくなってみたくなったりしながら、それは呼吸のように、この与えられた小さな生命を全うしたいなと思うのです。
果たして私はポジティブなのかネガティブなのか。それはまだまだわからない。
好きだと思ってくれる人と、敬遠する人がいるのはわかる。
だって自分と似た人が近くにいたら鬱陶しいもん。
全ては呼吸ですべては儚く、儚いからこそ美しい。
勉強もスポーツも天才肌だと言われて、努力し続けたって到達できないものばかりだと泣きながら崩壊した凡人の私が、一旦ゼロに戻って不惑という名の40の境地はたしかにあまり惑わなくなったけれど、天才「肌」の気持ちをつらつら綴ってみました。
本当の天才になるにはここから99%の汗かかなくちゃいけないでしょうね、エジソンさん。
孤独で贅沢な午後のつぶやき。
幸福の木に水をあげましょう🌱
🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀
…静かな時間があると、ふと自分から完全に離れるような感覚の時があって、文字にすると強いんで心配させちゃうと思うんですが、至って平穏です。
心の波を眺めるのが好きなもので、ご心配かけてすみません🙏
この感覚、わたしだけじゃないはず…がものを書く根底にあります。
you may say I’m a dreamer..but I’m not the only one..(by Imagine,John Lennon )