母が他界したのが2017年で、この後から事務のパートを辞めて独立を考え出したので、直接のきっかけは母の死だろうなと思います。以前学んでいた対本先生の講座で家族の死を「2人称の死」とおっしゃってて、母が他界する瞬間を思い出して忘れないようにと、自分宛のブログでごめんなさい。以下、🍀から🍀までが3年前の日記です。重い気持ちにさせたらごめんなさい。産まれる瞬間を3人の子どもで味わい、死の瞬間を母から学びました。
時々「死にたい」という話を聞く機会があるのですが、個人的には思うのは自由とは思いますが、死に至るプロセスは自死だと苦しみが伴うと思っています。共感して耳を傾ける余裕が自分にあれば良いのですが、人と違う個性で産まれたのは皆同じ。その個性を今の世の中でどう生かすか…と、いかに生きるか…が問われているのではと感じます。綺麗事だけではない世の中かもしれませんが、諦めるのは早すぎるし、天命を待つ気長さも大切にしたいものです。死の瞬間を見届けてた時に湧いた思いは、いかにこの継いだバトンを大切にするか…です。「ご自愛ください」は毎日言ってもよい言葉と思いますし、活かせなくても生きててくれるだけでいいのよ…とわずかばかりの母心がつぶやきます。
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この一週間
風が秋になりました。
一週間前、夜中に母が倒れました。
真夜中2時に父からの電話。
手と足の力と温度が抜けて、立っているのが精一杯。
真夜中の海の闇のような、どうしようもない深い孤独の感覚が振り向くと側にある感じ。
飛行機に座って深呼吸しても、呼吸と一緒に涙が流れます。
中部国際空港から乗り継ぎの電車待ち、ホームの向かいのビルのガラスに雲がゆっくり流れます。
病院までのタクシーの速度もゆっくりに感じて、時の流れが空回りした感覚で、この焦燥感をどうすればいいのかわからず、空を仰ぎます。
脳出血で、病院に着いた時には手術も難しい状態だったようです。
「今の母に痛みや苦しみはありますか?」と医師に尋ねました。
「痛みや苦しみを通り越した状態で、ただ深く眠るだけなのですよ」
と、静かに、少しかなしそうに微笑みました。
そっか…。
そっか…。
3日間深い眠りにつき、母は旅立ちました。
同じ部屋で仮眠をとっていたのですが、呼吸が一瞬止まり、不規則になりました。
仮眠室に行ったばかりの父と兄を呼び、家族で静かに最後の時を過ごしました。
産まれる時も、息をひきとる時も、流れる時間は本当に静かだなと感じます。
葬儀を終え、役所や保険の手続きを済ませ、父が1人でも生活できるように部屋を整えます。
やらなければいけないことはたくさんあるけれど、本当に必要なことはわずかかもしれない、なんて思いながら、少しまどろむ父を見ながらながら、焦点をどこに合わせてよいのかわからずまた空を眺めます。
母に何も恩返しできてないや。
ごめんなさい。
楽しい時間をありがとうございました。
いつも味方になってくれて、本当に感謝しています。
いつか一緒に過ごせるチャンスが与えられたら、またあなたの子供として過ごしたいな。
たくさん笑って明るくて、お日さまみたいな人でした。
ありがとうございました。
朝から感傷的な文章でごめんなさい。
今日もよい一日になりますように。
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すみません、長々と。