久しぶりに夢を見て、ハッと起きたら泣いていた。

私は何かを知っているようで、
その実なにもわかっちゃいないことだけ知っている。そこは自分のベースで、根っこだ。

夫のことも理解していそうで、
おそらくそこまで彼のことを理解してないのかもしれない。

数日前に大ゲンカをした。
大ゲンカと言っても、冷静な夫が声を荒げることは無い。
ただ静かに私の矛盾を指摘するだけだ。

私はいわゆる根回しというやつが非常に苦手で、
「みなさんなんとかよろしくお願いします。ね?」
という行為の美しさが時々よくわからなくなる。笑顔で圧力かけてるみたいに感じでしまう。

でも世の中一人じゃ生きてはゆけないことも痛いほどわかる。それが無いと回らないのが根回しかもしれない。

「わかる」と「できる」は違うので、ただ下手なだけだ。

そこのところを伝えようとして、伝わらないまま関係が冷えそうになった。

「あんたはやりたいことが多すぎる。」と言われた。

それは正しい指摘だ。

好奇心というものが旺盛なのは悪いことだろうか?

ハタから見たら「やりたいことが見えにくい」だけで、そこまで興味の対象が広いわけでもないので、あっちいってこっちいって…曼陀羅を編むように輪の中で手探りしているだけだ。

その手探りの最中に、あまり外からのノイズを入れたくないとは思っている。

それぞれのゴールに向かってできれば見通しをあらかた立てて進みたい。

人さまに伝える段階で「おめー、何考えてるんだ?」と言われる可能性が高いものを伝える必要があるのか?というあたりで、多分根回しが苦手なのだと思う。

「そんなリスクのあることやめときなさい」と言われて自分の意志がブレるのは何よりイヤだ。やめとけと言われてやめるくらいのことなら、最初からやらないよ。

失敗したら「それみたことか」と笑われるけど、挑戦すらしないことが私にとっては一番の失敗だ。

そこで嫌われようが、笑われようが知ったこっちゃない。

知ったこっちゃないと書いてしまう自分のそのあたりの個性が人によっては「突き放された」と感じるのだろう。それが妻なら尚更だ。

喧嘩と言っても私の伝えきれてない意思を言葉にしたらかなりスッキリして、特にその後家庭が崩壊した訳でも爆発したわけでもなく、普通に1日が過ぎた。

私は自分が無力な分だけ、人さまの持つ個性の輝きみたいな部分には単純に「すごい」と褒め称えたくなるし、伝えたくなる。

森下さんの講演も「ほぐし屋の仕事じゃないだろう」と言われたら、「そうですね」としか言えないけれど、お金をいただくことだけが仕事ではないし、走るのもコーチするのもお金に換算したら「まるでゼロかむしろ赤字」なんですが、人間活動全体を仕事と捉えたら、色んなところに可能性は落ちていて、色んな気づきの中で繋ぎながら「こうやってこうする」という概念的なものを現実にしてゆくことが、実は一番やってみたいことだろうな…と思います。

そんなすっとんきょうな空想を引き受けて下さった森下さんにはただただ感謝してますし、場所を与えてくれた御成座さんだったり、駐車場の場所を許可してくれたハチ公の里さんだったり、「面白そう」とか「行くからね」と温かい言葉をかけてくれる出会った方々だったりまだお会いしたことの無い方々には本当にありがとうございます。

あれこれ書こうとすると、文字は果てしなく続く。

見えないことを言葉にしようとしたら、文字なんていくらあっても足りない。

結局夢の内容も泣いた理由も言葉にできないままだけど、この一年は「意識を現実にむける行動を繰り返してる」んだろうと思います。

とりとめもないまま朝が来ました。

今日も皆さまの思いが実現する1日になりますように。

講演まであと10日。今月は仕事のメインが本業から少し逸れますが、ごめんなさいね。

チラシを再度告知させていただきます🙏タイミングが合いましたら、お会いできますことを楽しみにしています。

ではまた。

書き終えた後にナンですが、講演って表現の形としてとても面白いからやってみたいというのが、単純で純粋な動機でございます🙂