ちょっと挑戦的なテーマですが、回り道しまくりの私の人生を鑑みながらあれこれ書くブログでありますことをお詫び申し上げます。

「あ、ここが大事だ!」というポイントを見つけるのが割と早いというか、ちゃっかりしてたおかげで義務教育時代は「行きたい学校は大体選べる」状態を維持するために勉強という名のトレーニングを繰り返しながらも、根は「のび太君」なので労少なく良い学校に入りたいものだと、スポーツ推薦で地元の公立高校に入れてもらいました。

私の人生の個性的な部分は優等生と劣等生を両方経験したことでして、1番を取って「まだまだです〜😊」とニッコリ笑いながら、(あー、500点にあと4点足りない!キー!!悔し〜!)と地味に完璧主義な部分をさらけ出したり、振り向けば最下位で、追試ばかり受けて「できない子の常連さん」扱いだったりと同じ人間でできる範囲の振れ幅がユニークかもしれないと感じてます。

自分で振り返りながら、なんであんなに勉強できなかったんだろうと反省しながら思うのですが、高校以降の学びは基礎を踏まえての応用に入るというか、「知ってる分だけインテリジェンスになれるけど、モンゴルの歴史に私はそれほど詳しくなくても生きてゆけるはずだ、多分…。私が詳しくなくてもさほど生きるのには困らんはずだ…。」というのび太スピリットが炸裂してしまい、頭の良い友人から「オゴタイ(ハーン)、チャガタイ、キプチャク、イル」とモンゴルの歴史を読みながらもアウトプット出来なそうだと判断して、解答用紙に「チンギスハーン」だけ書いて終了させてました。要するに当時の自分にとって「さほど重要な情報ではない」と判断してた故の不勉強です。そして脳は「わたしは勉強ができない」という意識の中では本当にできなくなるものです。スポーツにおけるスランプも似ています。いかに脳の特性を理解して仲良くなるかが勉強という点では大事だと感じています。

次男は時々勉強で苦労しているので、もっとサポートしなきゃと思いながらも、人は学びたいものはきちんと吸収して成長するであろうという気楽さもあり、自分で追いつめないといいなと見守ってます。苦労するかもしれないけれど、それは程度の差はあれみんな同じだから、まあぼちぼちやっていこうよ、生きていたら100点満点…みたいな気持ちです。とはいえよく兄弟喧嘩もするのでプリプリ怒ってますが…😅

より多くのことを深く理解しようとするのは生きる糧としては重要とは思いますが、苦手意識の強い子に背中をポンと叩いて「だ〜いじょうぶ!」と笑って励ます道みたいなものを親としてもコーチとしても大切にしたいなあと思うかぎりです。知識も大事ですが、より大事なのはハートですからね…。

この「だーいじょうぶ!」と笑うためにたくさんの失敗を重ねて心の痛みを理解しようとしたり、「つまるところ今の時点で重要なことは何なのか?」という人生における論点から逸れないように日々過ごしたいものです。こと私においてはつまずきのない人生はさぞかしツマラナイだろうと感じます。転んだ時に見える景色や空や小さな花を愛でる人生を歩みたいものです。

今日は昨日の学校行事の代休で息子らも自宅で過ごしています。

今日は今日できることを重ねながら、引き続き仕事しようと、重要なことから目を逸らさない日々を心がけたいものです。からだの真ん中を探求しながらパフォーマンスとして発揮できるアスリートという肩書きも、自分を知る大事な鍵として重要視してゆきたいものです。そして家庭という人生のど真ん中で過ごす仲間たちと、より穏やかに過ごすのが課題かなと思います。息子3人、てんやわんやですから…😅

今週も良い1週間になりますように

写真は庭のトマトとバジル。バジルをお茶にして、口や身体の中もサッパリさせています。よろしければお試しくださいませ😊バジルに熱いお湯をかけるだけで部屋全体が本物の芳香に包まれて気持ちが良いですよ。