Loneliness というよりaloneなのかな…。
英語の感覚がイマイチですみません。
人が好きだと言いながら、
孤独も本当に好きなので、
一人になれるものを仕事に選んだ。
あれこれ指示されたくないことと、指示がブレる人に対する気持ち悪さに耐えられなくなったからだ。
とはいえ、仕事は気づいてくださるお客さまがいてくれてこそなので、
SNSでオープンにしたり、
ひたすら引きこもって内観したり、
自分で調節できるところが
自営業の良いところだと思う。
オープンなところはアスリート部分のわたし。
指図されたくない部分はアーティストと名乗りたい私が騒いでいる。まだどっちもひよっこなのにね。
子どものことが好きと言いながら
それほどきめ細やかな子育ては出来ていないので、
もしかしたら子どものこともそれほど好きではないのかもしれない…と、ふと思う時がある。
不惑を過ぎてから、もうそれはどちらでもいいこと…と思いながらも、一人の時間にシナリオをあーでこーでと作るのが好きな人間なので、
実はどちらでも良くなかったりする。
みんな好きだよ、なんてニコニコ笑う私のほうがニセモノで、
みんな大キライだと叫んで引きこもる自分のほうが本物なのかもしれない。
般若みたいなB面のわたしが無機質にわらう。
A面は物腰柔らかくてとらわれのない風みたいな人で、
B面はものすごく厳しい火みたいな人だ。
じっと見つめて判断しているのは水みたいな人。
人間の中には色々な人がいる。どこを大切にして生きるかを選んでいるだけ。
A面と思っていた部分をB面にして、
B面として隠してきた部分をA面にしたら、
現実と過去と未来のパラレルがパワフルになった。
だから何だと言われても、
それは極めて個人的なこと。
嫌われることを恐れないで。
嫌われたところでそれは一時的で、
あなたを理解しようとしてくれる人が
たまたまその人ではなかっただけのこと。
子どもにも大人にも外国の人にも初対面の人にもあまり躊躇しなくなったのは、B面の自分をはっきり出すようになってから。自分の哲学がやっと言葉として走り出してからのこと。自分の陰陽から逃げなくなってから やっと。
人さまに向けて書きながら、
どんどん自分の内側に還ってゆく楽しみを知っている人以外には、
わたしはきっととっつきにくく感じるだろう。
どう接してよいかわからないはず。
だってそうでしょう。自分をしっかりと見ようとしないあなたは、自分の内面を他人になんて見られたくないはずだから。
ご自愛くださいませって、難しい言葉なのね。
人は人、自分は自分。
その境界線という見えない何かを
はっきりと認識してからやっと、
人の大切な時間を奪いたくないと思うようになり、
気持ちが定まらない人に対して
無意識なのか意識的になのかは別として
厳しい言葉を放ってしまう。
今日はたまたまそれが息子だった。
泣きながら死ねババアくらいのことを言われだけれど、
彼はまだきっと私を殺せないだろうし、
やっと見たくない自分と向き合って、
思春期という名のサナギのような時期に
本格的に入るのであろう。
そんな偉そうなことを言う私がなに様かと言うと、
まるで何もない人というこの滑稽さ。
だから人生って面白いのよね。
こんなにシンプルでややこしい私に、
家族がいてくれてよかった。
友達がいてくれてよかった。
神さまどうも、ありがとう。
それは夜のひとりごと。
23:23、眠りましょう。
写真は今日通った菜の花畑。