去年は700本くらい記事を書いてたので、振り返るとしみじみしたり、おおそうだった…という気づきがあって懐かしいです。この懐かしい感覚をブログにも納めておきたいなと思います。東京を離れてからここまでの私の道のり…

どんな働き方を選んでも尊いし、働いてなくてもえらいと思います。だって生きてるって大変なことだから…。

🍀🍀🍀🍀

勉強をたくさんすれば頭がよくなるかもしれない
頭がよくなればいい学校に行けるかもしれない
いい学校にいけば仕事を選ぶ選択肢が広がるかもしれない

わたしと夫はいわゆるいい学校に行ったけれど
そこそこ働いて、フリーランスになるという選択肢を選んだ

フリーランスは、きっと少しだけ才能かセンスかもしくはひらめきがあれば、小学生でもなれる。
センスのよい身体を選んで生まれてきた人ならば、モデルになれる。そこにセンスはいるけれど、サインコサインや古典や文法はあまり重要ではない気がする。

フリーランスはfreeランスで、freeは自由で、自由を選んだわたしには、とてもじゃないけれど、勉強しろ、頑張れ、いい学校に入れと口すっぱくは言えない。

やりたきゃやればいいし、やりたくなければ自分でやりたいことを探しなさい。もしかしたら勉強してきちんと働き口を見つけるほうが安定は得られるかもしれないよ、とだけ言いたいなとは思う。

本州からぽんと離れて沖縄の離島に着いた時、わたしは学歴社会とか社会のシステムみたいなところから、少しだけ離れてしまった気がした。

何もないのは想像以上に不安で、
自分には何もないと泣いて、
私は何をしてるんだろうと
青くて広い空を仰いだ。

離島で必要だったのは、
学歴やキャリアよりも
地に足のついた生活力だった。

わたしに一番無いものだと思った。

掃除は苦手。
片付けも下手。
たくさんきゅうりをもらっても
どうしたらいいのかわからない。

きゅうりはそんなに食べられない。

感謝を忘れたわたしは
毎日海を眺めて、ただ眺めて
何をしたいのだろうと
問い続けた。

長い間空想の世界を生きていたような気がする。

答えは少し出せそうで
それでもそれは夢のこと、
と諦めて
散らかる部屋を見てまた少し泣いた。

ここで生きると決めたのに
全然生きれていない。
毎日が必死。

働いてて忙しいから
部屋散らかっててごめんね、って
ワーキングママの言い訳ができない。

お惣菜売ってないや。
全部1から作らなきゃ。

専業主婦の孤独と苦しさを知った。

今はやっと笑って
ずっと主婦をしていたいと言えるけれど、
そこに至るまでには
長い長い長いトンネルがあった。

今はトンネルを抜けて
光が射して
毎日感謝と笑いの日々を送れているけれど、
離島の生活は、
人との関係のつくりかた、
地域との関わりの大切さを教えてくれた。

渡名喜島は
またチャンスがあれば住みたいし、
今も繋がってくれている方々に
手紙を書くつもりでFacebookに向き合っている

スモールイズビューティフル

それは沖縄で一番小さな離島が教えてくれた、
わたしの人生でとても大切なこと。

保育士になりたいと公言した息子がふと、
東大に行って保育士になるのはどう?と訊いてきた。

東大行くならさ、今から死ぬ気でやらなきゃヤバいよと笑った。

わたしも死ぬ気でサポートしなきゃいけないし、保育士になりたいならさ、どの短大がいいかを真剣に考えたほうがいいかもねと伝えた。

そしたら少しの沈黙のあと、そっかと呟いた。

東大に行くなら、
おお坂ふ、じゃダメなんだよ。
大阪府って書いて、人口とか特産品とか歴史とかなんか色んなことを、すらすらすらっと言える人って感じかな。

長くなってしまった。
長くなってしまった。

詩でもなくエッセイでもなく、ただ落としただけの文章をお読みくださりありがとうございました。

今日はインドからスカーフが届きました。
思いがけないプレゼントはとても嬉しいです。

たまたま今日は紺のワンピースとラピスラズリを身につけていたので、頭に巻いてみました。

ご縁とギフトに感謝します。

島を離れて3年経って、海を眺めて見た夢が形になりつつある今この時に、ただただ、ただただただありがとう💓

ではでは。

写真はいただいたストール。
頭に巻きたくなりました。

🍀🍀🍀🍀

なーんてつらつら書いてまして、今日もたまたまそのストールがあったので手にしてます。

去年のほうが見られることを意識してて、今年はおそうじおばちゃんって感じですね〜😊

顔が良くも悪くも、キッとして締まったというか、たたかう人に戻ってきたな…👀💦もうしばらくアスリートと名乗れるようにがんばろ…。

ではでは。