イチローさんは私の青春みたいな人だ。
私に限らず多くの人にとっての紛れもないヒーローだ。
イチローさんは引退をしてしまう。
50歳まで続けてくれると思ってたのだけど、
スターは潔く身を引いてしまった。
イチローさんのどこが好きなのかを高校の時のクラスノートにつらつら書いた記憶がある。
そんなもん読む人はいるのだろうかと思いながら、読んでくれた人や、驚いたことにまだそのノートを担任の先生から受け取って持っている人がいた。少し驚いたけど、いつかまた読んでみたいなとこの前伝えてみた。
とにかく競技に向き合う姿勢を教えてくれた人だと思う。
まだ私の手元にテレホンカードがある。
オリックス時代のイチローさんで、中学の全国大会が神戸だったので記念に買った。
たくさんの引越しで色々なものがなくなってしまったけれど、15の頃から25年間わたしの人生と共に歩んでくれた大切なものだ。
ずっと競技を続けるのは並ならぬ精神力が要ると思う。
実は大学時代、陸上は自分の中で終わっていた。片道40キロかけて電車に乗ったのは、おそらく草野球みたいな気持ちで、ただ気分転換と仲間と会うのと、自分を支えるものがそれしか無かったからだ。
正直言って家事能力がまるで無い汚部屋の住人だった私に良いパフォーマンスなんて出来なかった。
家でご飯炊いて、汚れた台所を見て、見ぬふりをして学校に通い、私は一体何をしたいのだろうと電車から見える空を仰いで、また走るだけだった。
走るしか能がない自分も嫌だったし、陸上が既にそれほど好きとも言えないのに走ってる自分はまるでピエロだと思った。
別の道をと思って医大のラグビー部のマネージャーをしてみたけれど、輪をかけて向いていないと思った。人のサポートなんてまるで無理だ。
やっぱり私は走りたいのだと伝えて、親方と呼ばれているガタイと気の良い人と1本走って、全力でダッシュしてごめんなさいと謝って退部した。つくづく迷惑な人だったと思う。今もだけど。
そんな時にも相変わらず活躍しているイチローさんはすごいなと思った。
自宅から通って家事を考えなくてもいい関東圏の大学生全員を羨ましいなと思ったし、働きだした時も自宅から通って家賃を気にしないで高いブランドものを誇らしげに身につける先輩に「だから何なの?」と心で毒づいたりして、嫉妬やもがきや羨ましさや自分の未熟さや、色んなあらゆる感情を味わって、ある種の諦めの境地に達したのはつい最近のことだと思う。比較に疲れただけなのかもしれない。
息子らの野球を眺めて、監督やコーチを眺めて、小学校時代から中日球場に手を引かれて何度も通った記憶が淡く混じりながらも、ただ黙々と目の前のことに取り組む姿勢に人は心を打たれるのかもしれないととりとめもなく思う。
イチローさんの引退でカズさんは少し寂しそうだなとコメントを読んで感じた。
イチローさんの言葉と行動にはブレが少ないところも人を惹きつけるのだと思う。
長く競技を続けることは、それなりに大変で、何よりも自分の老いを感じる時が必ず来るからだ。
腰が痛い、太った、もう無理だ。
理由なんていくらでも言える。むしろ人間なんて理由をつけて自分を正当化しながら生きてるようなもんだ。
イチローさんの言葉はファンや報道陣に発しているように見えて、何より自分に向けて言い聞かせているように見える。
人間は基本的には怠惰な生き物だから、鼓舞してエネルギーを持続させるのは最終的には自分しかいない。
人を寄せつけないように見えるのは、イチローさんはイチローさんの道を突っ走っているからだろう。
もうこんな賛辞は誰もが言い尽くしているのだけど。
大学時代から20年過ぎた。
不惑になって、あまり人と比べてあれこれ悩む機会が減った。
家事と勉強と運動と移動でめげそうになっていた頃から20年経ち、あまり何も考えずとも夕飯の1品が作れるようになり、家事に対してもまあ大体…という自分のさじ加減を見つけてメソメソしなくなった。料理を作って家族の胃袋を満たせば、多少部屋が散らかってても死ぬことはなかろうと笑えるようにやっとなれた。
笑えるようになった頃に、ふと再び走りたくなった。今なら大学時代よりも楽しめるかもしれないという単純な思いつきだった。
靴を履いて息子らのトレーニングに混ぜてもらったら、思いのほか身体が重かった。
でも楽しいという気持ちだけははっきりと残っていた。
イチローさんは今後監督にはならないようだ。
10年のお母さん期間を経てまた走り出したのは、それはあまり他に能がないから。
走って何になるのと言われたら、スポーツをする人には身も蓋もないのだけれど、何事にも時があるという聖書の言葉を借りるならば、必要な時に必要な機会が与えられているだけだ。走りながら子ども達に教えたくなっただけだ。
イチローさんやカズさんは語らずとも背中にストーリーのあるレジェンドだ。私はレジェンドをリスペクトしながら、漫画の主人公に憧れるように本物のアスリートに大好きだと伝えるのが好きなだけだ。
わたしの中で1人のヒーローが球場を去るということは、何気ないようでこれだけ言葉が溢れ出ることなのかと少し驚きながら、イチローさんに思いを馳せた。
子ども達にコーチをするのは、実は遠い遠い昔の中学生の頃、全国大会という未知の部分に立つ時の自分への励ましの言葉を、目の前の子ども達に伝えているだけだったりする。大丈夫だよというただその一言を頼れる人に言って欲しかった、心細い自分に向けて伝えているのだと思う。
イチローさん、長い間ありがとうございました。