去年の5月。
息子と私は同じ速さだった。
わたしの5月の試合と、息子の運動会の100m走は偶然にも同じタイムだった。息子も私も15秒4。単純に2で割ると、50m7秒7、か。
9ヶ月経って、時々一緒に練習しながら息子らのフォームを眺めている。
陸上部の子たちは、かなり綺麗なフォームになりつつある。それぞれのスタイルが出てきた。
息子らは、まだ荒削りだけど、その分伸びしろがある。
今日は長男が「お母さん、勝負だ!」と短距離走を一緒に走った。
息子は負けて悔しそうだった。
去年から、わたしも少しは速くなったのかな…。
わたしの課題は体力で、去年の試合は50mくらいから足が上がらなくなってしまった。後半は気力だけで走りきった。3児のお母ちゃんであることや、もう40歳なことを痛感しすぎて少しだけ切なくなった。
昔は速かったと言っても、昔は昔であって今ではないのだと、気持ちがリセットできた。まずは己を知れてよかった。筋力が違う。体型が違う。体力が違う。練習量が違う。何もかも違う別ものだ、うん。
どうせコーチをするなら、私も新しい気持ちで、自分を新しい選手として鍛え直そうと決めた。新しいほうがきっと楽しいから。
昔の引き出しを時々引っ張り出すけれど、昔のことや人なんて忘れられたり過去のことなので、新しいトレーニングを研究したり、これはという監督の言葉から学ぶのは楽しい。昔の監督の言葉を思い出すのもこれまた楽しい。
いくつになっても、新たにスタートができるんだなと知ったのが大きな収穫で、あまりあれこれ言わないでちゃっちゃと練習して、体力ないからサッサと帰って、あんたはちゃんと練習してないのになんで速いんだ?みたいなことを聞かれていた学生の時よりも、今のほうが面白いくらいに陸上の情報が入ってくる。
ああ、すごいな、言葉のチカラって。
私はわたしで自分と向かい合いながら、今の40という年齢を楽しく鍛えたいし、子ども達は息子を含めてこれからピークに向かって伸びる身体を存分に享受してほしい。
ああ楽しいな、カラダって。
この走りに没頭している時の浮遊感をつかみながら、夢中になるのが速くなる1番の近道だよ。楽しいが先で、競うは後だよ。逆になるからツラくなる。
1分間スキップなんて変な練習してるのは私だけかもしれないけれど、学校の授業でぎゅっと叩きこまれる「競わせる」を抜かすのは大事。「競う」で楽しいのは大体速い奴だけだから。どこから走っても、歩いてもいいんだよ。
わたしはその楽しく走る感覚を言葉や動きで伝えるから、まだまだ足りないとは思うんだけど、一緒に走ろうよ。勝つだけ、努力するだけがスポーツなんてちょっと寂しいじゃん。一生の宝物にしてほしいの。人間の根源的な機能を。
どこまでも走れるって、思うだけでわくわくするよ。そして心強いんだよ。
311の時もね、銀座から高円寺って結構遠くて10キロ以上あるし皇居の周りは人だらけでごちゃごちゃしてたけど、頭の中に「走れ!」って指令を出して、叫びたくなるように必死で走るだけで、家族に近づける喜びがあるんだよ。
電車が動かなくてもバスやタクシーが麻痺しても、都内なら大体どこまでも走れるよ。ほんとだよ。
脳みその「無理」を「I can」にしておくだけで、楽しくなることはたくさんあって、私は走ることを通じて「I can」のネジをあける係になりたいの。
小学生のピュアなこころに、大人の私もなるべく濁さずそこんところを伝えたい。
伝えたいなんておこがましいかな。
ただ走りたいの。
一緒に走ろう。
走るだけでたましいが喜ぶわたしの、たましいのうた。