祖父は紡績で財を成した人で、神社に灯籠とか小学校に国旗掲揚塔とかドドーンとしたものを寄付してて、子どもながらにすごいなと思っていた。
駅の前も後ろもダーッと土地があって、育った家の池にはザリガニがうじゃうじゃいて、光琳みたいな菖蒲の花が一面に咲いていた。その後色々あって引越しをして古くて小さなマンションに住んでいるけれど、父は色々な思いを消化しながら飄々としている。駅前のガソリンスタンドは、東京で大学院を出た父には少し不本意かもしれないと思ったけれど、土地を活かす祖父のビジネスセンスはすごいなと思った。ガソリンスタンドの片隅でわたしはひたすら縄跳びや一輪車をして育った。忙しい店だったから、没頭してても怒られなかったのがありがたいところです。
わたしがついつい服や布を買ってしまうのは、紡績会社を興した祖父の魂を引っぱっている気がしている。
祖父は物心ついた頃には引退して、絵を描いたり尺八を作って吹いたり、ちょっと絵を描いてくると近くにふらっと旅に出て、こんな風に年をとるのもいいなあと眺めていた。ストレスという言葉を知る前だけど、ストレスが少なそうな気がした。
祖父は明治時代の人なので、食べ物も大切にしていて、ぶよぶよなのに表面だけ赤くつやつやした柿を「ほれ食え」と言われても、うーん…と手を出すのを躊躇したものだけど、押しつけるわけでもなく、黙々と尺八を作成するような人だった。
昨日親戚に会って、祖父はお経を唱えるのが上手だったと聞いた。
父もかなり唱えられるらしい。
私も専門で習ったわけではないけれど、昨日のお経は部分的には聞き取れたので「観音経、立派なの唱えてくれてよかったね。」と父に言ったら、「本当だよな。坊さんのお礼に酒を持ってこう」と笑っていた。
今日は久しぶりに墓参りに行ったので、祖父の灯籠も見に行こうと言ってみたものの、不幸事が最近あったからやめとけ。そのかわりに観音さまに連れてってやる。多分おまえが好きそうな場所だと車で5分ほど走った。
そこはそのまんま森に囲まれた素晴らしい場所で、懐かしいなとか、こんなに険しい岩だっけ?と思いながら岩を登った。3歳児には少しハードな岩場だった。
岩の上から眺める町はのどかで広く、そして愛知らしい元気さもあって、ああわたしはここで育ったんだなぁと再確認した。
愛知に来ると父は「何でも食えよ」とやはり坊っちゃんパワーを炸裂させようとするのだけど、アスリートをやりたい私には少し多すぎるんよ。痩せるのは気合いが要るけど、太るのは早いのさ。だって40だもん。でもどうもありがとう。残すのイヤだし胃下垂だからありがたくいただきます。…と腹で色々逡巡しながら、秋田に帰ったらまた走るのがんばります。
ご先祖さまは繋がっていると言うけれど、わたしは本当に繋がっていると思う。わたしが今更言うまでもないのですが…。
この繋がりから何をキャッチして感じとるかがメッセージかなと思ってて、父方の祖母も絵を描く人だったのだけど、2人のスピリットを受け継いで今の時代に表現することで私は命のお役目を果たしている気がするのです。小さな生命体としての私が、どこまで全体を俯瞰してその役割を果たせるか。壮大な生命の方程式を読みながら文字にすることをライフワークにしようと決めた今日この頃でございます。
長々と書きましたが、今日の写真は岩屋観音さんと、上からの眺めです🌥