渡名喜島から離れた日をSNSの過去投稿で眺めました。

久米商船さんが、蛍の光を流してくださいました。色んな心遣いに泣けて、大して何もできなかった自分に泣けて、次に住む場所でも「お客さん」のままでいないようにしたいと当時の風景を眺めて思い出しました。この地で命を授った三男は、まだ赤ちゃんだったので沖縄を覚えていない。

5年経った今、この秋田の地に住んでる人になれてるだろうかと自分に問う。

人は必要な場所で住ませてもらい、成長する。その「場所」も大きな意味では親みたいな感覚があって、学ばせてもらっているのだろう。

小さな私の撒ける1粒は何だろうか…と問い続けながら、日常に流されず過ごせたらと丹田までゆっくり呼吸をしようとしたら、次男が茶を淹れてくれた🍵 arigatou 🙂🌱