産後1カ月目にわたしは壊れました。沖縄県警の船に運ばれて、気づいたら精神科に。

なぜ精神科?と思いながらその夜に真っ白な6畳部屋に強制的に入れられて、食事時のパン以外何もない生活をしばらくしました。

それだけ強烈な壊れかたでした。歯がグラグラして全身あざだらけで、自分の中のマグマのような部分が噴出すると、こうも身体はどうでもよくなるのかと呆然としました。

精神科保護室。

それは自分を振り返ったり内省したり瞑想したり祈ったり掃除したり踊ったり歌ったりするには最高の環境で、たくさんの気づきがありました。不満はほぼゼロ。病院食もありがたいと思って食えばうまいんです。

栄光に似た経験も、絶望に近い感覚も、両方経験させてもらったのはなぜ?という自分の問いに対する1つの答えが出たのもここ。孤独は沢山の気づきを与えてくれました。

精神科に長くいたという経験から3年後に起業したことが、もし心に思い煩いのある方にわずかな福音をもたらすことができたなら、それは光栄なことだと思い、1人いるかいないかの「その人」に手紙を書くつもりで記事を書いてます。

隠すことも誇示することもイヤだ。

わたしはただそのままを書きたいのです。

違う私は病気じゃない、これは個性だと医師にも伝え続けて、抵抗したこともありますが、精神科に行くことで安心する家族もいる以上、まあいいやと思ってます。中学1年の英語の教科書みたいだな、と思いながら「元気ですか?」「はい、元気です」と、やりとりしてます。

わたしがスピリチュアルを表立って書かないのは、担当医にもチラシを配ってHPも伝えてるから。

天使が見えます覚醒の時がずっと前から来てますヨ🌟…って書いたら薬が増えると思ってて、地に足をつけることを課題に記事を書いてます。

学校の先生、保育園の先生、地域や父兄の方々にわたしの活動を納得して理解してもらうためには、いかに根っこから元気かを文章で伝え続けるしかないと思い至りました。

「ただの不思議ちゃん」ではお客様は、来ない。生徒だってついてこない。父兄だってイヤだろう。

色々あったらしいけど、どうしようもねえ奴ではなさそうだ…が、書きたいポイントです。

知行合一(←王陽明。朱子を学んだ私があえてこちらを選んでみました)や、修身の教えを実生活でどこまで実践できるかな、が課題の一つです。

文章読んでくださった方が「こいつ狂ってる」か「まともな人」かをジャッジすればいいだけで、わたしが病気についてあれこれ悩んだり気に病むことはない、というのが持論です。気の合う人は残るし、合わない人は自然と距離ができる。ただそれだけ。

このシンプルな法則のようなものに気づいて、人生というものがとんでもなく輝きだして、感謝の中で生きられるようになったのが収穫です。だからその気持ちをシェアしたいし、その気分を1ミリくらいでいいから伝えたい。そんなの書かないで家庭に集中すればいいんですが、わたしの自由な魂は色々試したいのでしょう。

医師との関わり方含め、ラクになったのはここ半年かなと思いますが、何のために生まれて何をして生きるのか。このアンパンからのクエスチョンに手を挙げられるようになったのが人生前半における収穫です。

わたしの人生は「冒険」がテーマなのでまだまだ色々あるかと思いますが、引き続き自分を大切に家族を大切にから始まって、わたしという命の水滴が水面にフワッと広がる感じで記事を書き続けたいと思う次第です。少しでも必要な人に届けばいいなと祈りながら…。そしてそれが人を傷つけないといいなと祈りながら。

お読みくださりありがとうございました。

ではまた、おやすみなさい🌙