久しぶりにシュタイナーさんの本を読みました。どうしたらこの域に到達できるんだろう…と読む度に途方も無い気持ちになるんですが、シュタイナーが自己と外の世界を繋ぐ境界に捉えた霊的なものと、同時進行で読んでる中国の「気」の概念が少し自分の中で繋がって、きちんと言葉で説明できるまで繋がってないことにもどかしさを感じながら文章を書いてます。

全然違う本なのに、言ってることがすごく近く感じます。

肉体、そして心の捉え方、そしてその見方、シュタイナーは肉体、霊、魂という言葉で語るんですが、内的感覚と外的感覚、単語では出てくるんですが理解が追いつかず繋げられずもどかしいです。

黄帝内経の霊枢部分で書かれていることをもう少し読み込んで、シュタイナーの書いてることももう少し理解できるように読んで、東西の感覚の共通点を探ることを小さな楽しみにしてゆきたいものです。

読んでちゃんと理解できてない自分の頭をかきむしりたくなります。理解できてるか否かは、自分で言語化できるかどうかで私は判断してます。

うぅ…。

写真は石田秀実さんの「気 流れる身体」と、シュタイナーの「人智学.神智学.霊知学」。とても面白いです。

学生時代にやったことが今になって「あーっ!そういうこと⁉︎」って膝を叩きたくなることが結構あるので、これからの世の中、高校→大学じゃなくても、ほんといつでも受験ウェルカム化が更に加速してほしいなと願うばかりです。

自分の中の「繋がってる!」という閃きだけを文章にして申し訳ないです。

お読みくださりありがとうございました。