私が最も「神ってた」時期はおそらく中学2年の時で、あまり何も考えずにオール5取って、テストで495点取って、陸上も県大会2位になって、あ〜もう来年何もしなくても推薦で高校入れちゃうじゃんって言われて、調子こいて勉強しなくなって見事な転落がはじまりました。中3で全国大会行ってから尚更勉強しなくなってスポーツ推薦で高校入って追試受けまくり。陸上部の先生に「また追試か〜…」ってしょっぱい顔されて、ものすごく申し訳ない気持ちになったのを覚えています。

自分の特徴を端的に表現すると、瞬間的に覚えるのは割と速いし、映像として頭に残せるけど、知識として定着してるわけじゃない、です。

だから自覚としては相当出来は悪い。

頭いいふりもできないし、できる限りボーっとしてたい。

…にもかかわらず、そこが当時超コンプレックスでもあったので学歴を求めてしまったわけです。

早稲田行ったら頭良さそうって言ってもらえるかも、的な。

今は「あ〜、もう何でもいいや。なるようになる」と思えるようになりましたが、「夫に似れば賢くなるけど私に似たら頭すっからかんだ、どうしよう…!」という強迫観念に似た思いで教育ママしたこともあるし、そのおかげでたくさん絵本も読めて良かったなとは思うんですが、勉強は出来りゃできたでラッキー、やりたくなかったらその後苦労するかもしれないけど励まし続ければ何とかなるんじゃないかな、って思います。やりたくないことをやらせるのが一番苦痛だろうなと感じます。

多分正社員で働き続けてたらこの気持ちにはなれなかっただろうと思います。推測ですが。どうでもいいプライドだらけになる。

正社員を手放して、離島のバイトはハブ駆除くらいだよ〜🐍って言われながら専業主婦してた経験があったからかな…。あれ?私は一体何してきたんだろう的な虚無感。

結構な割合で「高学歴な専業主婦を選んだ人生の人」が周りにいて、まあそういう方々が子育てするとスーパーママ的に見えるんですが、多分1回くらいは「えっと…、何してきたんだろう私」って似た気持ちを味わったんじゃなかろうかと読んでます。男の人なら定年後かな?

確かで揺るぎなく感じる学問というものが、案外儚い。ただ、決して無駄ではない。

この記事は今朝の1本目の記事、走るの速い子のその後、と双子みたいな感じで書いてます。

勉強も運動も、上には上がとことんいる。ほんと果てしない。

そんな当たり前のことに気づけたのが一時エセ神童やらせてもらって良かったことかもしれません。

もののあはれを直観したと書けばいいのでしょうか。

ちょっと最後のまとめがナンですが、勉強しろと息子らにがーがー言わなくなったのは、そんな自分の歴史を翻ってのことであります。

写真は北欧の杜公園。
相変わらず広々としてます。

今日はわたしが下の子2人と遊ぶ係です。
オフな気分になれるので嬉しいです。

引き続きよい週末を🍀