わたしは表面的には「なんくるないさ〜なんとかなるさ〜なるようにしかならんさ〜」という顔をしながらかなり結果にこだわります。完璧主義な部分が強いです。アスリートで少しでも上を目指す人なら、自覚のある無しに関わらず持ってるものかなと思います。

あまり負けず嫌いには見えないとも言われて、自分でもそんなもんかと長い間思ってましたが、いやちょっと待て!違う!と気づいたのはつい最近です。

だからスポーツでも2番よりは1番がいいし、高校の時に1度だけ市内で2番になった時は「1年生だから仕方ない」なんて言葉は一切聞かずに人目もはばからず泣きました。

勉強も義務教育期間中は500点をとるために課題をひたすら覚えて法則を知ればいいんだよね、という感じでした。そしたら結果として順位はついてくる。

夫は大学受験もゲームだと言っていたことがあって、さすがに私は「えっ😳!(それ人生ナメてるんとちゃう?)」と思ったんですが、まあ結果だけにこだわればゲームと言ってもいいのかなと思ったりもしました。

で、この結果のために必要なものって何だろうと車を運転しててふと思って、それは執念ではなかろうか…と気づきました。(←ザ.ひとり哲学)

執念ってあまり使わないというか、平成っぽい言葉じゃないというか、なんかドロドロしてるので普段は使いませんが。

でもこの執念がないと最後の最後のツメというか、もうこれでヨシ!って部分にたどり着けない気がします。

そしてプロフェッショナルとアマチュアの違いはこの熱量の差かな…なんて。

まあほどほどでいいよ、ならアマチュア止まりだし、とことんまで突き詰めたらはじめてプロって言っていただけるのかな、…って。自分で決めるよりも、こと商売に関しては人様の評価が全て。

自分の趣味嗜好を掘り返してみても、外国語は完全にアマチュア圏で楽しみたいし、陸上はやらせていただくなら限られた時間内で「こいつ本気か狂ってる!」ってくらいに取り組みたいし、創作活動はものにもよりますがプロの域を目指したいし、もみほぐしはまだまだ経験も500人足らずだから1000人目指して頑張ろう!みたいな感じです。

有言不実行が一番カッコ悪いんで、できる限り実現させたいですが、言葉におとすのが最も自分をコントロールするのに有用な気がして、SNSやブログを個人的に活用させてもらってます。

社会人の時は残念ながら月給という形で毎月お金を定額いただけてたので、その意識が薄かったなという反省を込めてこの記事を書いてます。

 

なんか暑苦しい文章を読ませて申し訳ないです。

ではではまた🍀